僕の嫌いなその1
それがそのとおりだったとして、物語解釈にどういう影響を及ぼし、世界がどう変わって、恵まれない子どもたちが救われたりするのかどうかどんな意義があるのか常人には理解できないやつ
僕の嫌いな考察その2
「◯◯が◯◯で…まさか…」
まさか何なのかはっきり言ってほしい。
僕の嫌いな考察その3
仮説が何通りか考えられるのになぜその説を選んだ? 理由は?
僕の嫌いな考察その4
「◯◯は◯◯のメタファー」
メタファーでもいいけど、それは物語の目的にはならない。作者はメタファーするために話を書いてるんじゃないぞ!
・ここからは読者の考察に対して作者が「思ってねーよ」って言った話に関連して……
作者の「思ってねーよ」に対抗するために、批評家は巧妙に「作者は~思った」っていう主語をごまかしていかなきゃならない叙述トリックが求められる
超自然の意図によりこの作品にはこのような解釈が宿った!
『腐海はアニメ業界のメタファー』とかあたかもハヤオがそういうふうに思ってたみたいに書くのはやっぱフェアじゃない。本当にそうならインタビューの内容とか引用してよね?ってなるじゃない。だから超自然の主語が必要…
作者の「思ってねーよ」で論破されるようではレベルが低いんだと思うんだよ。意図してようが意図してなかろうが関係ないレベルにしないと
わたしはこう思いましたって感想文ならいいけど批評じゃダメというか、「このシーンの意味がこうで、この文がこのようなことを表現しているので、だからこういう解釈になります」っていうある程度客観性のある事実の積み上げだよ。作者の意図がこうっていうのではなく、このように見えますね?ということの積み上げ
作者の意図がこうですっていう推測の積み上げではなく、この表現はこう見えますっていう事実の積み上げで論とするのでなくては
・なぜそこまで考察が嫌いになってしまったのか……というと長い話になる
などといいつつ別にそんなに嫌ってない。
まあ、要するに自分が見たいものの方に物語を捻じ曲げるのはやめよう!って話です。
ねじ曲げてもいいんだけど。 せめて捻じ曲げてる自覚はあってほしいというか、作者の意図です!という自分の解釈に対する正当性の付加を勝手に行うのはやめよう。
こんにちは。
返信削除読みました。
思うのは、そもそも「作者」が「作者の意図」がという発想をしている時点で、つまり作品は作者の考えによって制作されているという発想の時点で、作品考察のなんたるかを理解されていないように見受けられます。
◯◯は△△のメタファー
という主張にたいしてするべきことはそのメタファーとされる主張に納得性があるかどうかだけです。「作者がそう思っている」という意味がないこの発言に「作者がそう思っている、という前提の発言」とあなたが捉えてしまうところに大きな問題があるのではないですか。
どう思われます?