2015年2月24日火曜日

ユカノのキャラクター考察

ユカノといえば、ギルティやブラックサンの実況でユカノを巡ってタグが荒れたりして、賛否両論のキャラクターです。
重要キャラクターでありながら、一部で影が薄すぎて評価が下がったのはダークニンジャと同じですが、ユカノは二部の終盤のキャラクターが180度変化したため、評価が挽回しきらなかった印象。一度ケチがついてしまったので、評価がそのまま引き継がれてしまう、という面もあるかもしれません。
ユカノを好きという意見もみるし、嫌いという意見も同じくらい見かけますね。
どの程度嫌われていたら嫌われキャラクターなのかわかりませんが、個人的には、ユカノは設定的にすごく攻めていると思うし、なかなか他にないなあということをしているヒロインなので、けっこう好きです。ただし、感情的に、ものすごく萌えるとか、共感できるとか、めちゃしこかといわれると、そんなでもないかもね。

ユカノを好きという人は結構いますが、ここがすごくいい!という意見があまり共有されてないのも嫌われてるような印象を受けるひとつの原因かなとおもいます。自分自身ではユカノのいいところをはっきりまだ言語化はできていないので、他の人にもっと語ってほしいなあという気持ちはあるんだけど、ヘッズ内では「ユカノの話題は荒れる」という印象がついてしまったので、あまり語られないかもしれない。それも不遇だなあと。

じゃあ、この記事でユカノのここがいいよね!と書けばいいんだけど、今回の本題はそこではないです。
ユカノの設定がどれだけ攻めているのかということを書きたいと思います。
ユカノのキャラクター設定のコンセプト、というか。わたしが感じている限りの部分ですが。

ユカノはニンジャスレイヤーの師匠、ゲンドーソーの孫娘のくのいちとして登場します。ニンジャヒロインかくあれという設定ですね。
のちのち、実は記憶喪失のリアルニンジャっていうことが明らかになるわけですが、これも正ヒロインっぽい設定。これによってユカノは守られヒロインではなく戦力として数えられるくらいパワーアップします。
わりとよくある批判にユカノは敵にさらわれてフジキドに苦労をさせて……というのがあるんですが、そもそもユカノは守られヒロインだったか、と疑問に思うんですよね。
フジキドはだいぶユカノを助けるために奔走するんだけど、実際のところ、助けに来た→助けた!ってシーンがない。ナンシーは何度もあるのに。これは「守られヒロイン」ではないという明確な設計思想なのではないかと。
第一部では、メナス・オブ・ダークニンジャで行方不明になったユカノを探していたフジキドが、スシナイト・アット・ザ・バリケードでユカノを見つけ、当然助ける展開を読者は期待します。そこからの他に婚約者を作っての「ヒトメボレでした」オチ!(婚約者はこのエピソードで死亡)これが守られヒロイン全否定でなくてなんなのかと。
その後ユカノはアムニジアとして、ウチコワシに加入して悪事に加担してしまうのですが、この辺からも全力で普通のヒロインにはしないという意志を感じます。だってアカにドハマリしたヒロイン前代未聞じゃないですか。
次にフジキドがユカノを助けに行くのは、二部のビガー・ケージズ~とシャドー・コン。どちらもなんと失敗。最終話のヘオルンアースでユカノの戒めを解いたのは、ダークニン……いや、自分で抜けだしたんだった。
第三部ギルティ・オブ・ビーイング・ニンジャでも、フジキドはユカノを助けに行くけど、ユカノは敵を倒してフジキドを待っていた。
このあたりからみてもユカノは自立した女性として描かれているといえるように思います。実際のところ、素直にフジキドに助けられた方がカワイイですよね。ホント、ユカノはカワイクなくてカワイイな。


また、ユカノは豊満なプロポーションの持ち主の美女として描かれており、地の文ではしつこいくらいに「その胸は豊満である」と描かれることで有名です。これは直球かつ安直なエロ描写といえます。裸に剥かれるようなシーンも多いキャラクターです。
そういう「お色気描写」は繰り返しのギャグにもなります。忍殺において、いわゆる忍殺語的なギャグって実は、現実の日本社会に対する風刺を含んでいる場合が多いです。「お色気描写」もそのうちの一つである可能性はあると思います。
もっとも露骨にそれが現れたのは、三部のギルティ~のエピソード。
ユカノの魅力が我々を誘惑するから罪である、と糾弾するニンジャ修道会という集団が出てきます。ニンジャ修道会、ギャグとして傑作ですが、批判の意味するところは明らかだし、ユカノの記号的なお色気描写が自覚的なものであることも含んでいると思うんですよね。
無駄に脱いだり、無駄に豊満したり、徹底的に記号的に描かれることがそういう描写に対する揶揄になるわけですね。
忍殺には他にも女性キャラクターたくさんいるし、豊満なキャラクターやエロい役割を負うキャラクターもいっぱいいるんですが、こういうエロ描写に対して批判的な役割を担えるのはユカノだけだと思います。
まず第一にユカノがリアルニンジャであるということ。完全に人知を超越していますし、憑依ニンジャと違って何千年も生きていますから、人間の常識に縛られる必要はないわけです。この時点ですでに人間的女性性からは解放されているキャラクターです。
もうひとりのヒロインであるナンシーが自分が他人からどう見られるかに対して自覚的で、色香で周囲をコントロールするタイプなのを考えると、ユカノのあり方は対照的といえます。ナンシーは人間ですし、自分の限界もよく自覚しているので、その範疇でうまくやっているわけですが、それを利用している以上、性的に魅力的な外見をしているという外部からのレッテルからは逃れることはできない。もちろんそのようなレッテルをなきものにすることはできないんだけど、忍殺の女性(男性も)はほとんどそんなレッテルには屈しないし自分の価値は自分で決めるっていうタイプですよね。イグナイトしかり、ユンコしかり。
ユカノがその中でも特別なのは、豊満だとかいうレッテルを完全にシカトできることです。実力的にも、性格的にも、存在としても。なんたって、ニンジャだし、神話級だし。
だからこそ、ユカノにはそういう受難がより多く振りかかるんだけど。
ユカノは基本的に、人が自分に欲情しようがどうしようが知ったことではない態度でいると思います。ホワット・ア・ホリブル・ナイト~では色仕掛けをせずにリー先生を知識で籠絡したし、常に毅然として、紳士的な態度を求める。ちょっと鈍感に思えるかもしれないけど、言ってしまえば頑固で不器用なタイプで、相手をみて態度を変えたりはしないってことです。性的に成熟していないがゆえのヤモトの自然体なところと似ていなくもない気がします。
また、ユカノは裸に剥かれてもとくに恥ずかしがったりしないですよね。そこがまたカワイクないんですが、他人にどう思われようが気にしない。そういう強さがある。
レッテルに対してアンタイセイする姿は美しいですが、そんなレッテルはりを相手にしないし、認識もしない、たぶんそれが一番ふさわしい態度なんじゃないかと思うんですよね。だからユカノはカワイクなくてカワイイんですよ。